motherのブログ

備忘録

入学式に行きたくなくて泣き出す新大学生

2021年4月某日は大学の入学式。

多くの人は地獄の受験戦争を超え、人生の節目、まさに晴れ舞台に心を躍らせていることだろう。

そんななか入学式への電車がホームから出発する時間に僕は実家の布団の上で動けずにいた。

母親はおかしな様子の僕にどうしたの、と問いただす。

動けない。と僕は返した。(行きたくない、だったかもしれない)

動けないのだ。

動けないというより、体を動かすことはできるのだが入学式に向かうという行為をすることをどこかで拒んでいて動けないのである。

いじめられていた人、もしくは向かう先に大きなストレスがある、もしくはあると予想される場所に行かなければいけない人は玄関や駅のホームなど中途半端な場所で動けなくなった体験はないだろうか。

それによく似ている動けないである。

ちなみに僕はいじめられていた過去がある。

それはともかく上記のような具合で布団の上で座り込んでいたのである。

当然母親は心配するし父親に報告する。

今動かなければもう間に合わないという時間になって父親が階段を上がってくる。

体がこわばる。

僕は父親のことが怖い。

当然ここまでか、と観念していた。

重たい腰をあげ、軋む関節を筋肉の束で押さえつけ、足を引きずって玄関を開ける自分が簡単に予想できた。

父親が引き戸に手をかけて、扉を開ける。

やけにやさしい声でどうしたの、と声を掛ける。

僕は最近素直が一番デメリットが少ないことに気づきつつあったので、正直になぜかわからないけど行きたくない、と伝えようとした。

1つとても浅い浅い息を吸って、はじめの二字三字はどうにか言葉の原型をとどめていたと思うが後は言葉にならなかった。

横隔膜が変な動きをする。落ち着こうとしてゆっくり息を吐くのだが息を吸うことは横隔膜が肺に張り付こうとするようなヒュッ、という吸い方しかできないのだ。

あとは記憶が曖昧なので後日譚になるが、当時の僕の置かれている状況は心理的に数ペアの板挟みで、そこに自己嫌悪が程よくトッピングされたような心模様だったと思う。

実際はそれがもっとごちゃごちゃで優先順位がつけられない混乱状態だったと思うし、推測の域をでないけれど。

その後するっと立ち直った僕は地元の小学校の同級生に会う機会があり、そこで俺最近こんな何でもないことで泣いちゃったんだよね、と話したら思ったより共感されてしまい、案外これは僕だけではないのかもしれないと思ったのである。

 

このことは忘れるように努めていたのだが、動けないというのは結構大きなSOSなのかもしれない。そう思って文字に起こそうと思った。

本当はできるのに動けない。自分はなまけものでだめなやつだ。とその時は思ってしまう。でもそれは自分の心が悲鳴をあげているのかもしれないと思った。

今目の前に当時の泣いている自分がいたら心配になるレベルである。

 

本当はできるけど動けない。甘えているようで自己嫌悪が溢れる。そう思ってフリーズすることがあるかもしれないということを頭の片隅にいておくといいかもしれない。

次、もしそうなったら僕は休息をとることを優先順位の1位におこうと思う。